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原発の隣に住まないで、電力だけを使う他者が批判をすることはできない。
今回の東京電力の不祥事は原発立地県に一段の動揺を生んだようだ。
福島県、新潟県ともプルサーマルの受け入れなどで、県民の意見を集約する手続きを進めていた。
佐藤栄佐久福島県知事は「トラブルを伏せておいて、経産省は安全文化の向上といってきた。
茶番をやっているのか。
一番安全に関係する県民のことをどう考えているのか」と憤りを示したという(注一)。
信頼回復の道のりは遠い。
これだけではない。
電力自由化が進む中で、資本市場からの厳しい目が原発の新規の建設を難しくしている。
最新鋭の大型火力発電所(出力一○○万キロワット程度)は現在一○○○億,一五○○億円。
一方、三○万,三一○万キロワットの大型原発一基の建設費は三○○○億円程度かかる。
加えて、原子力の使用済み核燃料、廃炉など、あと始末にかかる費用(バックエンド・コスト)が現在問題になっている。
これまでは使用済み核燃料は原子力発電所の内部に大半が貯蔵されていた。
そして、「原発の発電した電気は安い」との主張は、このバックエンド・コストを考えずに算出されていた。
この処理の責任と費用を国が持つのか、電力会社が持つのか、国民が直接負担するのか。
総合資源エネルギー調査会(経産大臣の諮問機関)電気事業分科会のコスト等検討小委員会で検討されている。
しかし、二○○三年末時点で答えは出ていない。
バックエンド・コストは、二○四○年までに約一三兆五○○○億円の巨額になるとの業界推計もある(注二)。
今後は、原発の建設費とバックエンド・コスト問題が、電力会社の財務を悪化させかねない。
原発の寿命は三○,四○年とされるが、その時に日本が現在のような経済力を持ち、電力が需要される保証もない。
「もう、原発を作る時代ではありません」とある電力会社幹部は本音を語る。
二○○三年三月、関西電力、中部電力、北陸電力の一二社は石川県珠洲市内で共同計画していた珠洲原発の建設を断念。
県などと調整に入った。
経産省、資源エネルギー庁は、同月からエネルギー政策を策定するための基礎となる長期エネルギー需給見通しの改定作業を始めた。
ここでは、将来のエネルギー需要が少子高齢化や低成長の影響で伸び悩むと、初めて示される見込みという。
こうして考えてみると、原発が今後も作られ続けることは難しい。
そして、原発は温暖化問題解決の切り札とはならないだろう。
原子力発電の是非を論じることは今回のテーマではない。
しかし、一連の地球温暖化問題に対する国内での議論を眺めると、これまでの原発をめぐる対立が影響を与えている。
また、これからの温暖化問題やエネルギー政策を考える中で示唆を与える。
温暖化問題の視点から考えてみる。
温暖化問題は解決に向けて国民各層の協力が必要だ。
CO2の排出は国民生活や産業活動に密接にかかわり、「国民一人ひとりが排出源」であるためだ。
しかし、エネルギー政策をどうするかについて国民の意見を集約し、合意を積み重ねるという場が、日本にはこれまでなかった。
これには、原発をめぐる対立が影響しているのではないかと私は考える。
これまで分析したように、京都議定書をめぐっては、化石燃料文明からの脱却を図るという長所と同時に、多くの問題もある。
仮に日本でこれまで国民がエネルギー問題を監視し、意見を集約する場があったなら、京都議定書の光と影を詳細に分析することができただろう。
そして国民の合意を前提にして、負担を含めた有効性のある政策がすでに打ち出せていたはずだ。
だが、京都議定書の受け入れとその後の政策は、閉ざされた政策決定のプロセスの中で国民の意思を集約することなく決まった。
そして、日本では議定書に対する有効な対策もなく、国民的な合意もないまま、議定書の定める二○○八年からの第一約束期間を迎えようとしている。
これまで、日本のエネルギー政策を語る場合には、原発に賛成か、反対かという単純な二分論がまず行われ、相互にレッテルを貼った。
そして、対立点を埋めることもなく、政府・電力会社といった推進派によって、閉ざされた場でのエネルギー政策の意思決定が行われてきた。
もちろん、日本のようなエネルギー資源がほぼ皆無で、大量の電力需要がある国では供給手段として原子力が政策の選択肢として注目されたことは理解できる。
だが、批判派からの防衛が政策の大きな要素となった結果、推進派は狭い世界に閉じこもり不透明さを放置したまま、原発を作り続けた。
これが、東電の不祥事のように、国民から遊離した運営実態をもたらした。
原子力は、日本国憲法や自衛隊と同様に、社会の「踏み絵」となり、亀裂の一因となった。
冷静な議論と国民の合意の集積が求められるべきエネルギー問題でこのような混乱が生じたのは、日本にとって不幸だった。
九○年代から原子力政策で対話路線を重視する動きは出始めた。
旧科学技術庁などは九六年から原子力政策円卓会議を開き、合意を積み上げようとした。
経産省は二○○一年のエネルギー需給見通しの作成で、原発への反対意見を参考にした。
国の原子力委員会は二○○三年三月に、五年ぶりに『原子力白書』を発行。
国民の原子力に対する信頼感が失われたことを認め、「国・事業者と国民の相互理解」を強調した。
政策の転換の兆しは出ているが、その動きの影響度はまだわずかなものだ。
この対立の結果、推進派と批判派の間には根深い不信感が醸成されたように思える。
私は非公開の席で、ある電力会社の首脳から、「私たちは罵声の中で日本のためだと信じて黙々と原発を作って運営してきた。
私の子供は幼いころ、スリーマイル島の原発事故(米国、一九七九年)の直後、父親が電力会社に勤めていることを理由に学校でいじめられた。
男が正しいと信じていることをやっているのに、ののしられる悔しさが分かるか」と、原発の反対派に対して憤りに満ちた発言を聞いた。
冷静な対応が求められているこの問題を感情的にとらえる態度に驚いた記憶がある。
ただ、この人の怒りの通り、原発に対する社会の目は厳しく、当事者からすれば時には不当な批判が出た面はあっただろう。
また、私は九八年七月に、プルサーマル計画をめぐる市民団体と関西電力(関電)の初の公開討論会を大阪で取材した経験がある。
そこで関電側は、無資源国日本でのプルサーマル計画の意味を論理立てて強調した。
しかし市民団体側から「MOX燃料を入れた福井県の原発が爆発したらどうなるか」という非現実的な主張が行われ、関電側の出席者に罵声が浴びせられた。
一部の反原発運動が、感情的な要素を多分に持つことが実感された。
もちろん、前出の首脳の発言や公開討論会での光景は、複雑な問題の一断面にすぎない。
エネルギー政策をめぐる合意を形成する場がこれまで作られなかったのは、このような対立が背景にあるように思う。
私を含めて国民の大多数は、原発問題について「あるのだから仕方がない」という構えだった。
原発から出る放射性廃棄物に関して、漠然とした不安がある。
相次ぐ原子力のトラブルには失望する。
一方で、電力がすぐに、安く使えるしかし、相互の不信がかなり深刻なものであることはうかがえる。
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